従来、堀辰雄研究において東京と軽井沢は、主として作家自身の人生経験との関わりから言及されてきた。モダン都市東京を舞台とした水族館他の初期短編と、美しい村風立ちぬなどの<軽井沢文学>は、生い立ちの空間としての東京と、療養․安住の場としての軽井沢という二つの空間の志向性が別々に論じられてきたが、それは研究の枠組みを定型化させる結果を招き、多様なアプローチを妨げる原因になってきたと思われる。本稿では、このような従来の研究を批判する立場から、堀辰雄文学における空間に対する新しい解釈を試みるべく、上記作品を中心に彼の小説テクストに現れている東京と軽井沢の表象の包括的な分析を行い、その特徴を明らかにした上で、堀辰雄文学の始まりと言われる聖家族の空間設定を分析することで、堀辰雄文学における東京から軽井沢への移行の問題について考察する。これまでの作家論的な接近とは異なる見地から、断絶した空間として捉えられてきた東京と軽井沢の表象を連続線上に置いて分析することによって、堀辰雄の<軽井沢文学>に対する新たな視座を提示することを試みる。