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        1.
        2018.12 KCI 등재 서비스 종료(열람 제한)
        성태영은 19세기 후반부터 20세기 전반에 걸쳐 영남에서 살았던 유학자이다. 나라는 망하고 유학은 몰락하던 시절, 도도하게 밀려오는 신학문의 도전에 맞서 옛 학문의 가치를 부정하지 않고 보수하고자 노력했다. 곽종석을 통해 전수된 위정척사의 학문과 심설은 시대의 흐름을 조망하면서 인간으로서의 품위를 잃지 않도록 한 힘이었다. 또한 그는 스승을 통해 전통 학문과 신학문의 조화에 대한 관념을 얻었다. 이에 본고는 그가 시대를 인식하고 대응하는 방법을 살펴보고, 면우의 가르침이 무엇이었는지를 먼저 검토하였다. 다음으로 격동의 시대를 산 그에게 자기 정립이 중요하였기에 성리학에 토대를 둔 자아 인식의 내용을 살펴보았고, 면우학단에서 배운 심법이 이것에 어떤 기능을 하는지를 설명하였다. 마지막으로 변절하지 않는 데에는 성리학과 심법이 큰 기여를 하였지만, 그들의 세계 독해에는 한계가 있어 도래하는 새 시대에 대한 대응에는 실패하였음을 논하였다.
        2.
        2000.02 KCI 등재 서비스 종료(열람 제한)
        초록 (Abstract) 張顯光は理一元論者である。 彼の一元論は理氣經衛說として表れる。 ところが、 價置を有する一理によって人ㆍ物が構成されるという一元論を採擇するやいなや、それは直ちに現實と矛盾を引き起す。 善たる理の主宰によって作られたと主張去れるにもかかわらず、 現實には善惡が混在する二元論的な狀況が展開するからである。そうだとすれば、善たる理によって主宰される世界にどうして惡が存在しうるか。 この問題を解決するために性理學の氣質の槪念が注目される。人ㆍ物は 「淸厚たる氣質を稟受すれば善類となり、 濁駁たるものお稟受すれば惡類となるが?、 それゆえ「事には是非があり、物には臧不があり、生命あるものにわ天壽があり、世上には治亂があり、國家にわ興亡あって、すべてそれを免れることができない」 という。 しかし理氣經衛論、すなわち、氣は善たる理の致用する道具だという觀點からすれば、理の主宰を受ける氣がどうして惡の原因とみなされうるかという疑問は、依然として殘る。 ここで氣勢の槪念が登場する。 氣勢は氣に內在する變化運動によって現れる氣の展開現狀あるいは趨勢であり、陰陽運動の結果として 「用が體に勝ち、末が本より重くなる」 勢が形成される。 そうすることによって一元論を維持しながらも善惡二元論的な要素が含れるということである。 しかし、後天的な氣勢がなぜ發生したのかという未解決の問題を殘すことによって、 一元論と二元論との 葛藤を完全に解消することはできない。 これは當爲を存在論の 次元で?明しようとした性理學に內在する問題たといえる。 存在論の立場からすれば、 すべての存在は善惡に關係せず、一理の主宰下で生成され、 氣は理の主宰下で多樣な差別性を作る道具として把握すればよい。しかし當爲論の立場からすれば、けして理の主宰の産物だとみなされてはいけない現象を發見するようにになり、それを再び氣や氣勢と結びつけて說明しなければならない。 二元論的な世界を一元論のわくでむりにとらえることによって、 生じる矛盾である。