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권호

제11집 (2011년 11월) 4

1.
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本稿では谷崎潤一郞の蓼喰ふ蟲と川端康成の眠れる美女の二つの作品を老人というキーワードで分析し、作品に現れている老人の老いに対する意識を明らかにしたい。二つの作品の間には發表された時期の差があるものの、いくつかの共通點がある。一つは老人の特定な空間の設定である。この空間は日常から離れている非日常の空間で、老人を特別な空間において設定している点である。また、もう一つは老人の側にいる人形のような女である。この若い女は老人の側でもう一度老人の自由が感じられるように助けてくれる役割をする。老人の空間で人形のような女が存在しているにもかかわらず、老人は老いの限界を越えられない。でも蓼喰ふ蟲で老人は若い男(要)を老人と若い女(お久)の中に介入させ三角關係を形成する。この三角關係は人物の新しい葛藤の要因として作用するのではなく、老人の隱されている欲望を滿たすため計畵的に作られた關係である。結局眠れる美女で老人は自分の老いを自覺して受け入れたとしたら、蓼喰ふ蟲で老人は老いの限界性を自覺した後、他人の若さを利用してもう一度自分の老いを越えようとする生への欲望が隱されているのがわかる。
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2.
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『万延元年のフットボール』と『広場』、二つの作品の間にはいかなる接点もないように思われる。が、大江健三郎と崔仁勳、そして作品の内的空間に焦点を合わせるとサルトルの実存からフーコーのヘテロトピアまでつながる相互関係が見える。現実世界の実存として人々が自由でいられるユートピアを夢見たのが万延元年のフットボールでの都市というならば、蜜三郎と鷹四と菜採子はその都市でそれぞれ挫折を経験している。しかし万延元年のフットボールが語っているのはその挫折から再び立ち直るために帰るトポスとして想定されている谷間の村である。その谷間の村は百年前からの歴史的時間をそのまま持ち続けているトポスであるし、現在には朝鮮人が運営するスーパー・マーケットによる経済支配に左右されている。本研究はこのような谷間の村を今までユートピアとして見なしてきた先行研究から第三の他なる空間としてフーコーが取り上げた、目的の多様性がみとめられているへテロトピアとして新しい解釈を試みる。そのため、万延元年のフットボールから見られるトポス的移動をユートピア探しではなく、へテロトピアへの回帰であることをより一層明確にするための方法として、冒頭に挙げた崔仁勲の広場と比較する。広場はいままで韓国の文学史では実存のイデオロギー的解釈によって位置づけられてきた。結論から先に言うと、広場はマクロ的には社会的空間をめぐる回帰性の強い実存的な空間構造を持っているが、ミクロ的に具体化すると個人的空間への脱出として解釈することができる。その脱出の意味を崔仁勲において相対化してみると、個人が持ったトラウマを一九五〇年代韓国社会が持った社会的特殊性と結びつけ、戦時イデオロギーから脱出できたと言い換えることができる。そして、従来の実存のイデオロギー的解釈を超えることがこの大江の万延元年のフットボールとの比較によって、できるのではないかと期待する。
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3.
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近松の『大職冠』(1711)は朝鮮通信使の来日を当て込んで書かれたとされる作品である。本稿では『大職冠』及びそれ以前の作品を対象にして、通信使に対する近松の関心、そして通信使の来日が作品に与えた影響について、先行研究を踏まえながら追考した。管見によると、近松の作品の中で通信使関連の話が出てくるのは大礒虎稚物語(1694)が最初である。本作には通信使の馬上才を取り入れた場面があり、近松の通信使に対する認識の一端が垣間見られる。以降、通信使に対する近松の本格的な関心が窺われるのが『大職冠』である。通信使と関連のある場面については先行研究で指摘がなされたが、その中で注目したのが竜宮に奪われた面向不背の玉を海女が取り返す玉取りの場面である。その舞台となる志度浦の描写が実は大坂河口や淀川に浮かぶ通信使の船行列とそれを見に集まった見物人の実景から来ていることを通信使による記録類によって改めて検証した。また、その結果、本作の玉取りが如何に独創的であり、新風を吹き込まれたのかを従来の大織冠物を通じて確認することができた。
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4.
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本研究は、戦後日本経済の高度成長について考えるとき、数々の先行研究のなかで挙げられた成長要因について分析した研究である。これらの様々な要因が戦後の日本経済の発展においてそれなりの役割を果たしたことには異論はないが、各要因が果たした役割は異なっているし、またそれが経済発展の各段階で果たした役割の程度も違うはずである。そこでこれらの要因の中でどういうものが主要なものなのか、日本経済発展においてこれらの要因が担った地位と果たした役割はどうだったのか、そしてこれらは日本経済が成長する過程でどのように変化していったか、について当時の経済指標などを通して具体的に調べる必要があると考えた。日本経済の高度成長の要因を互いの関連性などをもとに分類すると大きく6つの要因に分けられるが、本稿ではこれら要因のうち時代的経済状況を考慮して先に考えておく必要があると判断される戦後日本が置かれた特殊な歴史的条件激烈な企業競争高速度の資本蓄積の3つの要因について資料を通じて分析を加えている1)。戦後日本経済が高度成長を実現できた理由については、高度成長における総合的な働きの中での、各要因の地位と役割を明らかにする必要があり、その密接な関連性を改めて考えなければならないのである。
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