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        2017.09 구독 인증기관 무료, 개인회원 유료
        日本最初期の阿弥陀如来像については7世紀中頃の作例が確認出来る が、この時期の阿弥陀像は法隆寺献納宝物144号像のように弥勒如来図像 を借用した倚坐の坐勢で表現された。このことは当時の阿弥陀信仰が弥勒信 仰と密接に結合していたことを伺わせる。しかし7世紀末になると、唐代浄土教 の流れを汲む阿弥陀信仰を背景に橘夫人念持仏阿弥陀三尊像をはじめとする インド式通肩・蓮華座上結跏趺坐の阿弥陀像が制作されるようになる。このよ うな図像の阿弥陀像は善導流の浄土教の受容を示唆しており、観想念仏と称 名念仏の対象として機能したとみられる。この宗教的機能は8世紀前半の東 大寺阿弥陀堂の浄土集会群像に継承されるとともに、善導流の儀礼にもとづく 阿弥陀悔過が同堂舎で修された。それゆえ7世紀末から8世紀半ばの阿弥 陀像は彫像から押出仏・塼仏に至るまで、大陸や半島から将来された粉本に 直接依拠して制作されたとみられる。  やがて8世紀後半には華厳教学と雑密信仰の高まりのなかで、阿弥陀信 仰が雑密的な色彩を帯び、それにともなって阿弥陀像の造像法も外来の粉本 に依拠した造像から、雑密経典である陀羅尼集経所説の画像法にもとづく 造像へと変容した。法隆寺伝法堂西の間像はそのようにして制作された雑密系 阿弥陀像の典型と考えられ、この作例のように両手の第1・4指をともに捻じる独 特の説法印を結ぶ阿弥陀像は、当時の雑密信仰がおもに華厳の環境下で 展開していたことを示唆している。すなわち陀羅尼集経所説の阿弥陀像は、 西の間像や法華寺阿弥陀浄土院本尊のように盧舎那仏と密接に関連する像 と認識されていたとみられ、西の間像と酷似する伝法堂中の間安置の仏三尊 像は、西の間像と対をなす盧舎那三尊像として制作されたと推察される。
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