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        1.
        2018.01 구독 인증기관 무료, 개인회원 유료
        法華寺十一面観音菩薩像は像高100.0センチの立像で、榧の一材による 9世紀の檀像様の一木彫成像として知られる。本像で特徴的なのは、薄い 銅版を切り抜いてつくった鬢髪や垂髪が風に靡くように表現されている点であり、 あたかもこれに呼応するかのように、同じく風に翻って反転する天衣の末端の表 現もみごとな彫技が尽くされており、おおいに注目される。このようないわゆる風動 表現については、中国唐代の画家、呉道玄の画風を踏襲した結果とする井上 正氏のみかたが定着している。 ところで本像についてはこれまでに光明皇后ゆかりの東大寺阿弥陀堂に安置 された檀像十一面観音像(非現存)、あるいは紫微中台十一面悔過所の 画像本尊(非現存)の模刻とするみかたが提出されてきた。そもそも光明皇后 の十一面観音信仰は阿弥陀信仰と結合した信仰で、8世紀に制作された東 大寺阿弥陀堂像や紫微中台画像本尊も皇后の阿弥陀信仰と密接に関連 し、『陀羅尼集経』所説の阿弥陀仏輪印法と同じ修法である同経掲載の掐 数珠印第十一の対象であったと考えられる。そうすると法華寺像にみられる呉道 玄様の風動表現や未開敷蓮華等を造形化した光背は、阿弥陀仏の極楽浄 土に立つ十一面観音をアピールするための工夫であったと思われ、光明皇后 にまつわる説話に彩られた法華寺像も皇后の十一面観音信仰の系譜を引く像 で、もともと法華寺阿弥陀浄土院金堂に祀られていたとする先行研究は妥当と 思われる。また法華寺像の風動表現や光背の意匠は光明皇后の十一面観 音信仰の性格を伝えているとみられるから、このような特殊な表現は紫微中台画 像本尊等ですでに採用されていた表現を法華寺像が踏襲した結果と考えられ る。それゆえ従来より推定されてきたように、法華寺像はやはり光明皇后ゆかりの 十一面観音像の模刻である蓋然性が高い。
        6,900원
        2.
        2017.09 구독 인증기관 무료, 개인회원 유료
        일본 최초기의 阿彌陀如來像에 대해서는 7세기 중반의 작품이 확인 되지만 이 시기의 阿彌陀像은 法隆寺獻納宝物144호 불상처럼 彌勒如來圖像을 차용한 倚坐像으로 표현되었다. 이것은 당시 阿彌陀信仰이 彌勒信仰과 밀접하게 결합했던 것을 보여준다. 그러나 7세기 말이 되 면 唐代淨土敎의 흐름을 이어가는 阿彌陀信仰을 배경으로 橘夫人念 持佛阿彌陀三尊像을 비롯한 인도식 통견・연화좌 위에서 結跏趺坐를 한 阿彌陀像이 제작되었다. 이러한 도상의 阿彌陀像은 善導流淨土敎 의 수용을 시사하고 있으며, 觀想念佛과 稱名念佛의 대상으로 기능했 다는 것을 말해준다. 이러한 종교적 기능은 8세기 전반의 東大寺阿彌 陀堂의 淨土集會群像에 계승되는 것과 함께 善導流의례에 바탕을 둔 阿彌陀悔過가 阿彌陀堂에서 행해졌다. 그렇기 때문에 7세기 말에서 8세기 중반의 阿彌陀像은 彫像에서 板佛, 塼佛에 이르기까지 대륙과 반도로부터 전해진 밑그림에 의거해서 제작되었다고 생각된다. 이후 8세기 후반에는 華嚴敎學과 雜密信仰이 높아지는 상황에서 阿 彌陀信仰이 雜密的인 색채를 띠었으며, 이와 함께 阿彌陀像의 造像法 도 외부의 밑그림에 의거한 조상에서 雜密經典인 陀羅尼集經에서 말 하는 畵像法에 바탕을 둔 造像으로 변용된다. 法隆寺傳法堂서쪽 불 상은 이렇게 제작된 雜密系阿彌陀像의 전형이라고 생각되며, 이 작품 과 같이 양 손의 엄지와 약지를 함께 구부리는 독특한 설법인을 취하는 阿彌陀像은 당시 雜密信仰이 주로 華嚴의 배경에서 전개되었다는 것 을 시사한다. 즉 陀羅尼集經에서 이야기한 阿彌陀像은 法隆寺傳法 堂서쪽 불상이나 法華寺阿彌陀淨土院본존과 같이 盧舍那佛과 밀접 하게 관련 있는 불상이라고 인식되었던 것으로 보이며, 서쪽 불상과 흡 사한 傳法堂중앙의 삼존불상은 서쪽 불상과 대칭을 이루는 盧舍那三 尊像으로 제작되었다고 추정된다.
        8,300원
        3.
        2017.09 구독 인증기관 무료, 개인회원 유료
        日本最初期の阿弥陀如来像については7世紀中頃の作例が確認出来る が、この時期の阿弥陀像は法隆寺献納宝物144号像のように弥勒如来図像 を借用した倚坐の坐勢で表現された。このことは当時の阿弥陀信仰が弥勒信 仰と密接に結合していたことを伺わせる。しかし7世紀末になると、唐代浄土教 の流れを汲む阿弥陀信仰を背景に橘夫人念持仏阿弥陀三尊像をはじめとする インド式通肩・蓮華座上結跏趺坐の阿弥陀像が制作されるようになる。このよ うな図像の阿弥陀像は善導流の浄土教の受容を示唆しており、観想念仏と称 名念仏の対象として機能したとみられる。この宗教的機能は8世紀前半の東 大寺阿弥陀堂の浄土集会群像に継承されるとともに、善導流の儀礼にもとづく 阿弥陀悔過が同堂舎で修された。それゆえ7世紀末から8世紀半ばの阿弥 陀像は彫像から押出仏・塼仏に至るまで、大陸や半島から将来された粉本に 直接依拠して制作されたとみられる。  やがて8世紀後半には華厳教学と雑密信仰の高まりのなかで、阿弥陀信 仰が雑密的な色彩を帯び、それにともなって阿弥陀像の造像法も外来の粉本 に依拠した造像から、雑密経典である陀羅尼集経所説の画像法にもとづく 造像へと変容した。法隆寺伝法堂西の間像はそのようにして制作された雑密系 阿弥陀像の典型と考えられ、この作例のように両手の第1・4指をともに捻じる独 特の説法印を結ぶ阿弥陀像は、当時の雑密信仰がおもに華厳の環境下で 展開していたことを示唆している。すなわち陀羅尼集経所説の阿弥陀像は、 西の間像や法華寺阿弥陀浄土院本尊のように盧舎那仏と密接に関連する像 と認識されていたとみられ、西の間像と酷似する伝法堂中の間安置の仏三尊 像は、西の間像と対をなす盧舎那三尊像として制作されたと推察される。
        6,700원