『万延元年のフットボール』と『広場』、二つの作品の間にはいかなる接点もないように思われる。が、大江健三郎と崔仁勳、そして作品の内的空間に焦点を合わせるとサルトルの実存からフーコーのヘテロトピアまでつながる相互関係が見える。現実世界の実存として人々が自由でいられるユートピアを夢見たのが万延元年のフットボールでの都市というならば、蜜三郎と鷹四と菜採子はその都市でそれぞれ挫折を経験している。しかし万延元年のフットボールが語っているのはその挫折から再び立ち直るために帰るトポスとして想定されている谷間の村である。その谷間の村は百年前からの歴史的時間をそのまま持ち続けているトポスであるし、現在には朝鮮人が運営するスーパー・マーケットによる経済支配に左右されている。本研究はこのような谷間の村を今までユートピアとして見なしてきた先行研究から第三の他なる空間としてフーコーが取り上げた、目的の多様性がみとめられているへテロトピアとして新しい解釈を試みる。そのため、万延元年のフットボールから見られるトポス的移動をユートピア探しではなく、へテロトピアへの回帰であることをより一層明確にするための方法として、冒頭に挙げた崔仁勲の広場と比較する。広場はいままで韓国の文学史では実存のイデオロギー的解釈によって位置づけられてきた。結論から先に言うと、広場はマクロ的には社会的空間をめぐる回帰性の強い実存的な空間構造を持っているが、ミクロ的に具体化すると個人的空間への脱出として解釈することができる。その脱出の意味を崔仁勲において相対化してみると、個人が持ったトラウマを一九五〇年代韓国社会が持った社会的特殊性と結びつけ、戦時イデオロギーから脱出できたと言い換えることができる。そして、従来の実存のイデオロギー的解釈を超えることがこの大江の万延元年のフットボールとの比較によって、できるのではないかと期待する。