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        1.
        2014.12 구독 인증기관 무료, 개인회원 유료
        『懐かしい年への手紙』は僕が語る物語として読み取れる。だがK ちゃんと呼ばれる僕の過去は他者の記憶を受け入れて再構築されたものである。他者の記憶は森の中の谷間の村からの手紙や電話、ギー兄さんの翻訳文や僕が書いた小説、そして新聞記事として語られている。そのように、僕の物語言説の影には引用を通しての情報、僕の創作に向かう情報、そして自己省察による反省と他者の指摘による反省が混在されているといえるし、それが語り手として照応する。本稿ではそのように語り手のメタファーとして機能するものを語り手的装置と定義し、懐かしい年への手紙における語り手の物語言説を僕と語り手的装置に分離して論じた。その結果森の中の谷間の村に関する僕の記憶が僕と語り手的装置の混在している物語言説によって語られているのが確認できた。したがって僕が語る物語は森の中の谷間の村の 神話として再構築された記憶の物語であるという解釈が可能になる。  僕=語り手の解体、それがもたらした結果は二つある。一つ目は僕が他者との記憶を共有し、森の中の谷間の村を多様な物語言説として発信することができたということだ。すなわち僕が他者の記憶を受け入れ森の中の谷間の村での経験を物語内容として再構築する。その結果いま・ここの僕の物語言説が変化する。二つ目は僕が受け入れた情報によって僕の人生をギー兄さんの人生とともに物語言説として語ることができた。僕が物語言説として記憶を再構築するということは僕と森の中の谷間の村の人々が記憶することを再現して共有することだ。だから僕の物語言説が時間を順行と逆行に交錯していることは書き手として介入した結果ではなく、僕が順行と逆行の交差が行われた時間を記憶として受け入れたからだ。 最後に現実と夢の時間、僕と他者、そして都市と森の中の谷間 の村に分かれた二項構造を解体し、再び多項構造として再構築する。そ の再構築に必要なのは以前の作品から構造化された一人称の僕のみであったといえる。次第にその構造から生み出された物語言説の中で、同一化された僕は反復と差異、照応と羅列の物語言説として解体される。しかし僕という語り手は物語内容として登場しながら再びその物語内容に閉じ込められてはならない。したがって、僕の物語言説が僕の記憶だけを語ることに閉じ込められる直前、語り手的装置が僕の痕跡を消している。そのように、僕と語り手的装置の物語言説が混在して僕の物語に照応した虚構への同化を拒んだ時、リアリティーの根幹に据える物語言説が生まれる。これこそが懐かしい年への記憶を語るため、僕が試みた三人称体の物語言説であろう。
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        2.
        2011.11 구독 인증기관 무료, 개인회원 유료
        『万延元年のフットボール』と『広場』、二つの作品の間にはいかなる接点もないように思われる。が、大江健三郎と崔仁勳、そして作品の内的空間に焦点を合わせるとサルトルの実存からフーコーのヘテロトピアまでつながる相互関係が見える。現実世界の実存として人々が自由でいられるユートピアを夢見たのが万延元年のフットボールでの都市というならば、蜜三郎と鷹四と菜採子はその都市でそれぞれ挫折を経験している。しかし万延元年のフットボールが語っているのはその挫折から再び立ち直るために帰るトポスとして想定されている谷間の村である。その谷間の村は百年前からの歴史的時間をそのまま持ち続けているトポスであるし、現在には朝鮮人が運営するスーパー・マーケットによる経済支配に左右されている。本研究はこのような谷間の村を今までユートピアとして見なしてきた先行研究から第三の他なる空間としてフーコーが取り上げた、目的の多様性がみとめられているへテロトピアとして新しい解釈を試みる。そのため、万延元年のフットボールから見られるトポス的移動をユートピア探しではなく、へテロトピアへの回帰であることをより一層明確にするための方法として、冒頭に挙げた崔仁勲の広場と比較する。広場はいままで韓国の文学史では実存のイデオロギー的解釈によって位置づけられてきた。結論から先に言うと、広場はマクロ的には社会的空間をめぐる回帰性の強い実存的な空間構造を持っているが、ミクロ的に具体化すると個人的空間への脱出として解釈することができる。その脱出の意味を崔仁勲において相対化してみると、個人が持ったトラウマを一九五〇年代韓国社会が持った社会的特殊性と結びつけ、戦時イデオロギーから脱出できたと言い換えることができる。そして、従来の実存のイデオロギー的解釈を超えることがこの大江の万延元年のフットボールとの比較によって、できるのではないかと期待する。
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