1.
2016.12
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大韓民国映画史の第一歩を刻んだ映画人の一人として知られる崔寅奎 監督。現在韓国での一般的な彼に対する評価は、日本植民地期には、対 日売国(韓国語では ‘친일’) 映画を作り続けたが、解放後、その売国行為 の免罪符として民族の解放をうたいあげる自由万歳(자유만세)等いわゆ る解放三部作映画を作ったとされる 。筆者は、彼の現存する植民地末期三作品のうち、比較的‘売国(친일)’ 性がはっきりしないとされる『授業料(수업료)』をのぞく二作品、すなわ ち『家なき天使(집 없는 천사)』ならびに日本人監督今井正との共同監督作 品である『愛と誓ひ(사랑과 맹세)』の再解釈を通して、彼のこの時代の映画 が持つメッセージの二重性を指摘する。そしてそのメッセージに含まれ る、朝鮮民族の、大和民族と平等な政治的権利獲得を狙う戦略的意図の 存在可能性を指摘する。最後に、植民地期朝鮮映画研究の課題、すなわ ち社会的認知フレーム考慮の必要性について提起する。
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2.
2016.12
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村上春樹の作品の特徴の一つとして、様々なジャンルの音楽が多彩に 用いられることが挙げられる。彼は学生の頃から音楽に対して多大な関 心を持ち続けてきた。その関心は、作家になった現在でも衰えていな い。むしろ音楽の性質を執筆に役立てているだけでなく、作品世界にも 影響を与えている。しかしながら音楽に視点を置き彼の作品を考察する 研究は未だ多く見ることができない。
本稿では、村上春樹のデビュー作である風の歌を聴けを中心とし て、彼がどのように小説世界を作りあげ、音楽の性質をどのように生か しているのか、主人公僕と鼠に重点を置き考察する。考察を通し て、より村上春樹の作品世界を理解し、音楽を用いたことで登場人物に どのような影響が及んだのか分析することを試みる。
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3.
2016.12
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本稿では、1868年に創刊された諸新聞に日本の新聞大衆化の萌芽を見 出すことはできないかという問題を提起し、各紙の創刊号の序文やあと がきに書かれた発行の目的・編集方針、および記事本文の振りがなにつ いて、『大衆化』『わかりやすさ』という観点から考察した。
序文やあとがきの調査からは、他国の新聞事情や新聞の有益さを述べ ることで新聞を普及させようとしたり、記事のわかりやすさや人々の啓 蒙がめざされたりしたことがわかった。同時に、中外新聞等によって 新聞人気が広まりつつあることが認識されており、事業として成功させ ようという考えが存在したこともうかがい知ることができた。1868年は 新聞の普及がめざされ、そしてそれが実現されようとした時期だったと いうことである。
振りがなの調査からは、すべての漢字に振りがなが付けられることは なかったが、総振りがなに近いほど多用した記事や両振りがなを用いた 記事もみられた。これは、人々の啓蒙や事業としての成功を成し遂げる ために記事をわかりやすくする手段の一つとして振りがなが利用された ためと考えられる。
以上により、1868年を日本の新聞大衆化の萌芽の時期とみることは可 能であると結論づけた。
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4.
2016.12
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本稿ではCD-ROM版新潮文庫の100冊と佐賀新聞(2001年と2003年1 月~12月)から収集した資料をもとに複合格助詞にとってとに、とし てとの交替現象及びその成立条件について考察を行った。その結果、以 下のようなことが分かった。 Xにとって(は)、AはBだ文の特徵において
[1] 意味上、Xの立場から想定した觀點では AはBであるという判斷が成立可能である。
[2] Xは、主に人や擬人化された組織を表すものである。
[3] B は不可能を表す表現や内的な感情․感覚を表す表現や価 値判断や評価を表す表現のような狀態性の高いものが多い。
[4] 對比的な文脈を必要とする場合が多い。
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5.
2016.12
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本稿では身体と関連のある着用動詞の意味分野の研究として、自然な 文脈の伝達と正確な語彙選択によって滑らかに意味の伝達をするために も研究するべき必要性があると考えた。
身体の着用動詞では、衣服の種類と付着․ 装飾のような種類が動作の 対象になりつつ、文の中で互いにふさわしい関係でなければならない。身 体の着用動詞の範疇を決定するのは、対象物による制限もあるが、身体の 着用動詞の本来の意味属性によっても対象物の選択が制限されたりする。これは、動作の対象物と身体の着用動詞との意味関係の重要性を示してい る。従って言語の意味関係を説明するには、言語の文化的に接近してみる のも必要であると考えられる。全般的に見るとき、意味関係を扱うこと が、自然な文の伝達のためにも必要であるということを確認した。
身体の着用動詞の表現の一つ一つは、初めから1:1対応から出発し現 在、私たちが使用している表現形態と頻度の数を持つようになったと考 えられる。言語使用で表現の数が多いということは、それほど言語表現 を豊かにしてきたということからも意味があり、着目すべき点であると 思う。
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